2013年5月19日日曜日

ぐーたら


とは、本当に大変だなあとますます実感する今日このごろ。

先週、ぷっちんとしてしまってから、娘のますますのかわいさにますますの罪悪感。

ママと言ってくれるようになり、皿洗いのときなどもまとわりついてきてくれる。
かわいくてたまらん。
ダンナが休みのときは、何かと「パパ」といってパパを見るし、言葉も増えてきた。

娘のためにも、毎日ちょっとづつぐーたらして、その分娘をかわいがろうと思う。
今のところ、毎日順調!?にぐーたらして、その後は娘につきあえている。というか、こちらからつきあいたい。

やはり、ぐーたらは大切だ。
四六時中、娘の隣で真剣に向き合えれば、それこそ素晴らしい母親なのかもしれないけれども、私にはできん。

かといって、娘に大切なのは、本物の母親である私だと思う。
だから、その母親である私が、ぐーたらして、その分娘と楽しくいっしょにつきあっていけたらそれでいいのだと私は思う。

ぐーたらは必要だ。決して無駄なことではない。

高校生の時、先生が「ぼーっとした時間をすごすと、無駄な時間をすごしたと思うかもしれない。でも、その時間も必要な時間なんだ」というようなことを言っていた。

なるほど、と思ったけれども、時を経て、今もとってもそれを実感する。
無駄に見えることが、とっても大切だなって感じる。

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