2014年11月19日水曜日

いらいらいらいら


 ここ最近、娘を毎日怒ってしまう。
 一食につき、2時間もかかる。「ママが食べさせる」という娘。ママに食べさせてほしいということ。

 もうそろそろ、自分で最後まで食べて欲しい。
 一時期は、最後まで自分で食べていたのに、なんだかダンナとか私に食べさせてもらいたがる。

 ちょっと突き放して、最後まで自分で食べさせるようにしているのだけど、長い。非常に長い。
 一口食べて、歌ったりとかボーっとしたりとか、私がやること(家事)をじーっと見ていたり。
 その間に一口食べてくれよ!!と思って、最初はまだいいんだけど、どんどん怒ってしまう。

 今日は、自分自身の気分転換も兼ねて、ベビーカーで買い物。
 いつもは行かないスーパーに行ってみたら、思わずお得でいい品があってうれしい限り。
 
 娘が、トイレトレーニングに失敗しても(まだ成功してない)怒らないのに、歯磨きや食事が遅いことではとても怒る。
 突き詰めて考えていくと、子供の頃に自分が嫌な思いをしたことだからかなと思う。
 子供の頃に歯磨きをちゃんとしなかった自分がとても許せないし、幼稚園の時に、食事が遅くて嫌な思いをした(先生に怒られたりとかしたわけではない)。

 逆に、年長さんでもおもらししてたけど、幼稚園の先生に怒れた記憶もないので、嫌な思いもしていない。

 子供の頃の感情が、今の自分に大きく関わっているということか。
 子育てって、とても深いところで自分に向き合わなければいけないんだなと感じる。
 小手先での、怒らないためにどうする、ということだけではなく、もっと自分の根底を見直して、なんとか救済していかなければならないのだろうなとか感じる。

 まずはどうすべきか。
 うーむ。

 どんなときに怒るかを、自分でもっと詳細に整理してみる。
 そして、どんな傾向があるか分析してみる。
 ・・・が、その先どうすべきか。まだいい考えが思いつかない。

追記----
お弁当を早く食べれなかった頃のことを思い出してみる。
みんなは食べ終わって、外で乾布摩擦をしていて、私は泣きながら食べていた覚えがある。
「食べるのが遅かった自分」を、責めている自分がいることに気がついた。
あの時、もっと早く食べていたら、私は悲しくならなかったのに。どうして早く食べれなかったの?と。
しかし、その頃の自分に立ち返ってみると、何故早く食べれなかったのは覚えてないのだけれども、早く食べれなくて一人残されることがとても悲しかったということを思い出した。
私は悲しかったのだ。

そう思ったからか、本日は娘に怒らなかった。
ちょっとでも食べると、「えらいねー」と、心からほめられるようになった。昨日までは口先でほめてただけだったのだけれども。

自分の子供の頃に持った悲しい感情を、拒絶したり、嫌がるのではなくて、自分自身で受け入れていくことが、もしかして大切なことなのかもしれない、と思いかけてきた。

もともとは、ダンナの「トイレに失敗しても怒らないのに、食べるのが遅いことでは怒る。それはなぜかを考えていくと、解決のヒントがあるんじゃないの」という一言。いいきっかけをくれただんなに感謝したい。ありがとう。

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