2009年12月27日日曜日

研修の苦悩(前の記事の続き)

 アルゴリズムが終わり、とうとうプログラミングの時がやってきました。

 まずはcobolとオラクルを使うプログラム。まずはサンプルのソースコードをもらい、そして色々な部品の説明を受けます。この部品はこうやって使うとか、アスキーとかバイナリとかFFFTPのこととか。

 もう早くてわけがわからない。うーーーーーーーーん。わからん部分は、隣の男子(とても面倒見がよくて、今でもすごく感謝)に教えてもらいました。

 そして実際にプログラムを動かそうとしてみるのだけど、フェッチ(オラクルのテーブルの次の行の処理・・・だったかなあ)ができない。うーむうーむ。
 後ろの席の友達と困ったなあと言っていたのだけど、周りは徐々にでき初めてくる。焦る焦る。

 そして何日かして、「もうだめだ」と思い、もう辞めようと思ったのです。
 会社を休み、すでにリタイヤしていた友達と一緒に渋谷で会いました。
 私「これからハローワーク行こうと思うのだけど、一緒にきてくれない?」
 友達「ダメ、やめたら後悔するよ。今日は色々なところに遊びに行こう」

 ということになり、渋谷や、東京の丸ビルに遊びに行きました。
 ずいぶん気分転換もできたところ、電話が来て(後ろの席の友達から)、「フェッチうまくいったよ。大丈夫そうだから明日は来なよ」と言ってくれたのです。

 あの日のことはずっと忘れません。絶望から光が見えてきたのだから。本当に忘れません。

 そして、翌日会社に行ったのですが、なぞのコンパイルエラーが出てしまった。
 全角と半角のスペースも再度チェックしてみたのだけどダメ。隣の席の男子もデバッグに加わってくれました。しかし何をやってもだめ。もうなんでええええええええええええええええええ!!!!!!
 ・・・と思っていたら、
 隣の男子「あ、アスキーじゃなくてバイナリでアップロードしてるよ」
 私「え、そうなの?」その時の私にはアスキーもバイナリもよくわからないほどアホだったのです。

 そんでアスキーモードでUPしたらコンパイルがうまくいきました。もうこれもほんと忘れられない。

 その後、提出した課題はNGで追試になったのですが、追試になった時には、頭の中にプログラムが描かれており、翌日半日でプログラムを書いて合格になりました(一説によると、本当はNGだったのに、評価者の人が間違えてOKを出してしまったという)。

 それからだいぶ順位は落ちましたが、やっとスタートラインにつけたんだなあと思いました。
 あの頃は死にそうだったし、本当につらかった。しかし、支えてくれた友人や周りの男子にすごく感謝。

 それからは、何度も席替えがあるのだけど、隣の席の人に恵まれたりして(FUJIさんや今のダンナなど)、バグ修正がうまくできたりして、なんとかかんとか乗り越えてくることができました。

 もうあれは死闘だった。あああ、なんかすごく懐かしいなあ。でもああいう経験をしたことはすごくよかったのだろうなあと思う今日この頃。まさしくあれが私の青春だったような気がします。

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